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May 29, 2006

Piazzolla: En el Teatro Regina(レジーナ劇場のアストル・ピアソラ)

★★★★☆(ピアソラ初のライブ録音)
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ここで紹介するのは「ピアソラの定番」とされている有名盤。いわゆる前期キンテートの高みを示す素晴らしい選曲と内容だ。意外かもしれないがこれがピアソラに限らずタンゴ史における初のライブでの収録で、1970年にブエノスアイレスのテアトロ・レジーナで録音された。何故そんな近年(?)までライブ録音がされなかったのかというと、(以下、完全に受け売り)タンゴというのはブエノスアイレス固有のものであり、その都市の人間は生演奏のタンゴは街中でいくらでも聴くことができ、逆に街の外の人間のタンゴのライブ録音の需要というものがなかったからということらしい(そりゃマイナーな音楽ですから)。
まず、Porteñoシリーズ(いわゆる「ブエノスアイレスの四季」)の全曲が一気に聴くことができるという意味で非常に価値がある。バラでよければもっと良い演奏はあるのだが、同じ面子、同じテンションでひととおり聴けるのはこのアルバムだけ。ちなみに、Buenos Aires(ブエノスアイレス、この言葉自体は「綺麗な空気」という意味)が何故Porteñoになるのか。最近知ったのだがその理由は、La Plata(ラプラタ川)の河口にある「港町」(英語のportと同じ語幹を持つ)だからということのようだ。
更にコントラバス奏者の名前を曲名にしたKicho(キチョ)やBuenos Aires Hora Cero(ブエノスアイレス午前零時)など他の曲もどれもこれも素晴らしい。

ピアソラ好きと公言するなら、このアルバムを所有していなければモグリ。

May 27, 2006

Piazzolla: Live in Tokyo 1982

★★★☆☆(日本が世界に誇るタンゴシンガー藤沢嵐子さんとの競演)
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80年代、ピアソラは地球の真裏に位置するブエノスアイレスからはるばる日本までツアーに数回来ている。その記念すべき初来日公演の様子を収めたCDが来日後22年も経って2004年に発売になった。ひさびさの新譜ということもあって国内のピアソラファンの間では話題になったようだ。実はこの演奏NHKが収録していてFMでオンエアーもされたらしいのだが、NHKがテープを破棄してしまったおかげ(?)でライブ録音の存在は知られていてもなかなか聴くことができずに幻とされていた。しかしコレクターが保存していたカセットテープをリマスターやミキシングなど色々な技術を駆使してようやく発売にこぎつけたようだ。演奏内容は良く、藤沢嵐子さんとの競演は名演だと思う。(ピアソラ本人が毛嫌いしていたが)日本公演サイドの要望で演目に入れたというLa Cumparsita(ラ・クンパルシータ)も収録されている。おそらく後期キンテートのピーク時期だった83年や84年のライブ録音群に比べればアンサンブルに難はあるが、まとまったライブ録音の記録として十分価値があると思う。デニムで上下を決めたピアソラを写したジャケットもかっこいい。
が、いかんせんカセットテープ特有のヒスノイズが気になるし、低域が落ちているお陰でコンソーレのコントラバスがイマイチ聴こえ難いのが欠点。それにアンサンブルの精度も良くない箇所が気になるのでこの星数となった。

もうじき発売される予定である1984年のライブ録音「東京のアストル・ピアソラ」にも期待したい。後期キンテートのライブ録音群をあらかた聴いた方にお勧め。

May 24, 2006

Piazzolla: Live in Wien(ライブ・イン・ウィーン)

★★★★★(入手困難なスーパー録音)
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後期キンテートは選りすぐりの優れた録音が多いが、ここで紹介するのはその中でもトップレベルのライブ録音であり、以前別項で記述した“Tristeza un de Doble A”(AA印の悲しみ)と双璧を成す1983年の定番ライブ録音。録音場所も同じウィーンの劇場で行われている。このCDはVol.1と銘打たれているようだが、Vol.2は結局発売されることはなかったらしい。
Decarissimo(デカリシモ)、Riverado(リベラード)、Verano Porteño(ブエノスアイレスの夏)などすべてが高精度でノリの良い名演ぞろい。特に、ヨーヨー・マのおかげでピアソラの代表曲となってしまったLibertango(リベルタンゴ)では疾走感あふれるシーグレルの素晴らしいピアノソロが堪能できる。もともと16ビートのパーカッションを大胆に取り入れた曲が、作曲家本人によって分解され、キンテートを用いて見事に再構築されている。
残念ながら「AA印の悲しみ」と同じように廃盤になって久しく、再発売が望まれる音源である(ネットオークションでは法外な値段で取引されているようだ)。私がピアソラを聞き始めたころにはまだ店で簡単に入手できたのだが…。

May 23, 2006

またもや母校を訪れてみる。

学位論文の題名に問題があるということで、書類の差し替えのために再度母校へ。主査のS先生とメールを何通も交換して侃々諤々の結果ようやく題名が決まり、要旨もそれにあわせて導入部を変更(前日は11時の帰宅後に作業を開始したので結局夜中の3時まで書類の整理に時間がかかってしまった)。あとは教授会でS先生が受理申請の説明、すなわち「何某がこれこれこういう内容で学位を申請するから皆の衆よろしいか」と宣言するためのA4紙1枚ほどの原稿を用意していたのでそれを渡しておく。後で聞くと、この受理申請が一連の手続きの中で一番の山場だということ(しかも本人不在)。

なんだかんだ言って差し替えは午前中で済んだのだが、次の予定まで時間があったので、S先生の研究室の一角をお借りして論文の執筆に精を出したのだ。そうしたら学事課から携帯に、論文の題名に含まれる「『向けた』が漢字になっていなくて『むけた』になっている書類が一つありますのでお手数ですが修正いただけますか」との連絡。急遽研究室のプリンタをお借りして修正を再度差し替え(午前中で帰ってしまっていたらまたはるばる1時間半かけて書類1枚を差し替えに来なければならなかったので冷や汗ものだった)。しかし、私立大学というのにお役所仕事のような仕事っぷりなのだ。

結局、昼を抜いてまでがんばったお陰で少しは進んだ。次の仕事は、某音響学会(って全然「某」になっていない)の総会への出席。たまたま仕事で頑張った成果が認められて表彰を受けたのだ。何だか今年はツイている。ツキが良すぎて、今年後半にひどいしっぺ返しを食らいそうで怖いのだ。

May 21, 2006

Piazzolla: Muerte del Ángel(天使の死~オデオン劇場1973)

★★★★★(一時的に編成された70年初頭のキンテートの貴重な録音)
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ピアソラのCDの題名は中身をワザと分かりにくくしているのではないかと勘ぐってしまうようなものが多く、海賊版の存在と相まって優れた録音の収集の妨げになっていることは確実である。再発売時にアルバム名を変えてしまうことも多く、曲を減らしたり追加したりで散々な扱いをされることが多い。こうしたところが、素晴らしいピアソラの音源が普及する妨げになっているのではないかと思うと残念である。

ここで紹介するCDは確かにタイトルトラックの「天使の死」は含まれているのだが、この曲だけが突出しているということもなく、構成そのものは普通のライブ録音である。しかし、このCDは実は非常に貴重だ。実はこのキンテートは一時的に編成されたらしく録音がほとんど残されていなかったが、ピアソラの死後に未発表音源として発売された。この録音がなされた1973年の前にピアソラはキンテート(ピアソラ、ゴシス、ルイーズ、アグリ、キッチョのメンバーによるいわゆる「前期キンテート」)を解散し、オクテート(八重奏団)で活動をしている。ここのキンテートはそれともちょっと違う面子で構成されており、ピアソラの他のメンバーはOsvaldo Tarantino (p)、Antorio Agri (vn)、Kicho Diaz (b)、Horacio Marvicino (g)であるが、一番の特徴はピアノのタランティーノだ。

タランティーノは左手の和音に特徴があり、右手は自由自在な即興演奏。Otoño Porteño(ブエノスアイレスの秋)では途中からご機嫌なソロに突入し、マルビチーノとの掛け合いの相乗効果でタンゴの領域をはみ出ている。他のメンバーも感化されたのか、ノリが良く密度の高いアンサンブルを聴かせてくれる。Adiós Noninoもピアノソロが独特で名演。
録音は基本的にモノラルでところどころ音も割れているし、変な編集のおかげで(マスターテープに問題があったのかもしれないが)前述のソロも一部が欠けており、決して褒められたものではない。だが、それを補って余りある演奏内容。この編成の音源がこれしか残されていないのは実に残念。

初心者が最初に聴くにはちょっとつらいかも知れないが、Tango Zero Hourやen Teatro Reginaなどの有名どころを聴き飽きた方には是非お勧めしたい。

May 18, 2006

Piazzolla: Hommage à Liège(リエージュに捧ぐ)

★★☆☆☆(あの「タンゴの歴史」初録音だが…)
Piazzolla_Hommage_a_Liege.jpg
たまには素晴らしいCDだけではなく、あまり関心しなかったのも紹介しておいたほうがよいだろう(あくまでも私見ですのでご了承の程を!)。「リエージュに捧ぐ」と題されたこの録音は、リエージュ国際ギターで演奏されたバンドネオンとギターとオーケストラのための協奏曲を前半に据え、後半は「タンゴの歴史」のスタジオ録音を収録したちょっと中途半端な構成のCD。オーケストラの演奏によるAdiós Nonino(アディオス・ノニーノ)は重厚な音色と意外なオーケストレーションで聴かせてくれていはいるし、「リエージュに捧ぐ」という名のドッペル協奏曲も興味深い内容ではあるのだが、どちらかというとラテン風味のクラシックという感じ。後半の「タンゴの歴史」も初演とあるが、今となってはこれよりも良い演奏のCDは山ほどあり、本当に「初演記録」という以外には特筆するような価値が見られない。

コレクター向けかと思う。

May 17, 2006

申請手続きをしてみる。

会社を途中で退社して(裁量労働制なのでこういう場合は休みを申請する必要がない)、学位申請のための手続きをしに横浜にある母校へ。到着したのが午後3時ということもあり、学生がわんさかいる。当然二十歳前後の若い女学生もわんさか。まぶしいぃ。若いっていいなぁと(本気で)思う。うーん、できることなら大学生の頃に戻りたい。15年前に戻ってあの無責任でもなんとなく許された時代をもう一度謳歌したいっ。腐るほど時間があったあの時代に戻りたいっ。というのはさておき。

要するに、専修内の予備審査(正確には「セミナー」)も先日合格し、5/2に論文が通って乙種博士号の必要最低条件の論文数(コンピュータ科学専修では4本)を晴れて満たしたので、正式に「受理申請手続き」を行うことになったのだ。慶応大学理工学部では専攻教員会議が1ヶ月に約1回ペースで行われるが、その2週間前までに学事課に必要書類を提出する必要があり、5/31に開催予定の会議に向けた〆切は本日5/17。私の人生、振り返ってみると常にぎりぎりでやってきたが今回も例に漏れずぎりぎりである。

必要書類は事前にwebで入手できる「申請手続き要綱」を何度も読んで入念に準備しておいた。このとき、私が用意しなければならなかった書類は:


  1. 学位申請書
  2. 論文要旨(和文)
  3. 論文要旨(英文)
  4. 履歴書
  5. 論文目録(過去の業績リスト)
  6. 関連著作一式(過去の業績を紙バインダーに綴じたもの)

で、1~5までは、webページからWord形式でダウンロードできる(実に便利な世の中になったものだ)ので、単に埋めていくだけ。6については、目録と対応がとれる配置にしておかなければならないようだ。いずれにしても、予備審査を受けるときにはすべて準備しておくように指示されていたので、今回はチェックをして修正するだけであったが。ちなみに、論文の要旨については(主査の許可を得れば)審査手続きまでは差し替えが利くようだ。一応、提出前には主査のS先生にはアポをとり、書類を一緒にチェックして頂いた。

ところが要綱の下のほうを読むと「指導教員が学事課に下記の書類を提出されたかどうか、念のため指導教員に確認してください。」と書いてある。「ひょっとすると万が一」ということでS先生に確認するとやっぱりやっておられなかったので(まぁこういうのは普通本人がトリガーをかけるものだと思う)、その場で急いで一緒に作成して提出。その書類には専修主任のハンコが要るので実はA先生が不在だったらアウトだった(冷や汗)。

ちなみに、私が学生のときは学事課の職員の方々には結構冷たい対応しかしてもらえなかった記憶しか残っていないが、今回は対応も丁寧でいろいろと融通を利かせて頂いた。特に総務会計の方には、時間外だったにも関わらず(本来は15:00まで)快く審査料金(OBは7万円)を受け取ってもらった。本当に感謝。

とりあえず手続き的なものを終了した後は、S先生の研究室に戻って今後のスケジュールをおおよそ決定した。主査や副査の先生に学位論文を見ていただく必要があるので不確定要素はあるものの、大体は以下の通りとなった。

 専攻教員会議でS先生が説明する議案書の原稿作成。
 6月末までに学位論文を見てもらえる状態(ほぼ完成形)にする。
 while (true) {
  主査・副査の先生方に論文を読んで頂いてコメントをもらう(特にO先生には手渡し)。
  コメントを反映
  if (コメントが出揃い、論文に目処がついたら) break;
 }
 公聴会の設定を主査のS先生にお願いする。
 7月下旬(7/18or24の週)に公聴会を開催。
 if (公聴会後の教授会で承認を得る) {
  論文を確定して製本に出す。
  8/21までに製本した論文を学事課に提出して審査手続きを行う。
  9/29学位授与
 }

S先生は「予定がきつくて無理そうだったら、無理に春学期授与(つまり9月の授与)を狙わずに、秋学期授与(3月)にすれば?」とおっしゃって下さったが、伸ばしても特にメリットはなさそうなので、9月を目指すことにした。いよいよ本気で気を引き締めて論文を書き上げなければならないのだ。

May 9, 2006

Piazzolla: Concierto en el Philharmonic Hall de Nueva York(ニューヨークのアストル・ピアソラ)

★★★☆☆(美しき悪魔)
Piazzolla_Concierto_en_Nueva_York.jpg
1980年代はピアソラ後期キンテート(五重奏団)の黄金時代であり、名演をたくさん生み出しているのだが、ピアソラの音楽活動の中で決して忘れてはならないのが前期キンテートだ。ピアソラは前期のキンテートでもたくさんの優れた録音を残している。ピアソラ以外のメンバーはJamie Gosis(p)、Antorio Agri(vn)、Kicho Diaz(b)、Oscar Lopez Ruiz(g)と、Ruiz以外は後期メンバーとは異なる面子だが、ひょっとすると後期キンテートよりも優れた奏者が集まっているのではないかと個人的には思う。
ここで紹介するCDの題名「ニューヨーク・フィルハーモニックホールでのコンサート」(邦題:「ニューヨークのピアソラ」)はただのツリ文句で、実際には米国でのコンサートツアーからの帰国後のスタジオ録音だそうだ。ここでは「天使」シリーズと対をなす(のか?)「悪魔」シリーズが収められているのが大きな特徴で、特筆すべきはその非常に濃い内容。Tango del diablo(悪魔のタンゴ)の強烈な不協和音による衝撃を受けた後は、それは美しいRomance del diablo(悪魔のロマンス)。録音はもちろん1960年代の「それなり」ではあるが悪くはない。ゴーシスのピアノは素晴らしく、アンサンブルの完成度は高い(スタジオ録音なので当たり前か)。

May 8, 2006

出張に出てみる。

昨日の失態はどこへやら、いくら二日酔いでもゴールデンウィーク明けの今日は、這ってでも出社せねばならぬ。しかも、今日は夕方から初台に出張なのだ。

って、初台はKO線を使わないと行けない。がーん。

May 7, 2006

へべれけで電車に乗ってみる。

本日は一年も前から予定していた演奏会の本番も終わり、出産やら子供の面倒やらでぜんぜん落ち着かないゴールデンウィークも終了。演奏会の打ち上げでは酒が進んでしまったのだ。ま、飲みすぎてしまうのはいつものことなのだが…。

もうへべれけもいい加減にしろという状態で、電車に乗って自宅に向かう。たまたま向かう方向が一緒だったのはプロの演奏家として立派に活動しているE君。彼もへべれけである。と、話を続けていたら、E君は何故だか涙ぐんでいる。「いやぁ、ボクはhiwaちゃんの演奏好きだよ。」とか何とか言いながら泣いている。おいおい、ちょっと待て。あなたはひょっとして泣き上戸だったっけ? とか思いながら、なおも観察すると「hiwaちゃんと本当はずっと一緒にヤリたかったよ」と言っている。とんでもないことになってしまった。これはマズい。傍から見たら、ただのゲイ仲間である。

それに更にマズいことに、自分ももらい涙。いろいろあって今はまったく別の道を歩んでいるE君と私だが、10年以上前の若かりし頃は同じ志を抱いた音楽家として一緒に演奏していた仲間だ。そういうこともあって、彼の涙の意味が分かると感極まって酔いも手伝って私も目からぽろぽろと涙が。こともあろうか、別れ際にはがっしと抱き合ってしまった。

周りの人たちが目を合わさないような気がするが、決して気のせいではないだろう。「やむをえず別れたゲイのおふたり」としか映らなかったとしても仕方がない。しばらくKO線に乗るのはやめにするのだ。

May 6, 2006

Piazzolla: Pugliese (Finally Together)

★★★★★(セクステートによる演奏の決定版)
Piazzolla_Pugliese.jpg
1989年にオランダに於いて、同じくモダンタンゴの大家のプグリエーゼと共に、同じステージで演奏したライブ録音2枚組。一枚がプグリエーゼのオルケストラティピカ、もう一枚がピアソラのセクステート(六重奏団)が中心となっている。以前は「Finally Together」という名前でカリカチュア風のジャケットをまとって発売されていたが、廉価版として2枚まとめて再発売された(値段は安いが「海賊版」ではなく「廉価版」である)。ピアソラの音楽人生最後期に結成されたセクステートの演奏としては最良の出来だと思われる。録音も優れており、舞台・客席の様子が手に取るように分かる。
セクステートは、バンドネオン×2、チェロ、ピアノ、コントラバス、エレキギターの編成で、重いリズムが特徴的だ。ピアソラ以外のメンバーは、Daniel Binelli (bn)、Jose Bragato (vc)、Gerardo Gandini (p)、Horacio Malvicino (g)、Hector Console (b)。ここに収められた全ての演奏は白眉であるが、特にLuna(ルナ)は密度の高い名演。途中でピアソラ自身がページをめくり損ねて演奏が止まってしまい、曲が終わったと勘違いして拍手を始めた聴衆を制するために"I forgot to open the page!"とMCを入れるのが惜しい。ところが、聴き込むうちにこれも味のうちと思えてくるのが不思議。
プグリエーゼ盤、ピアソラ盤の両方とも最後のトラックとしてLa Yumba(ラ・ジュンバ)~Adiós Nonino(アディオス・ノニーノ)のメドレーが収められているが、中間部のガンディーニのラ・ジュンバのメロディをちりばめたピアノソロを経由してプグリエーゼのオルケストラティピカとピアソラのセクステートの合奏でアディオス・ノニーノが始まる瞬間は、最高のカタルシス。

この内容でこの値段は絶対お得ですよ、奥様。

May 4, 2006

Piazzolla: Tristeza de un Doble A(AA印の悲しみ)

★★★★★(必携)
Piazzolla_Tristeza_de_un_Doble_A.jpg
ピアソラは、80年代に活動していた後期キンテート(五重奏団)で(このCDのタイトル曲)Tristeza de un Doble A(AA印の悲しみ)を好んで取り上げていた。1970年頃のオクテート(八重奏団)で初めて録音したものが、この頃にはコントラバスの下降音形に乗せた即興演奏の塊のような演奏に進化しており、おそらく聴衆のウケが良かったからだろう。事実、別項で紹介しているLive at Montreal Jazz Festivalでは、耳の肥えているであろうジャズの聴衆が熱狂している様子が見られる。無理やり型にはめて表現するのであれば「タンゴのリズムに乗せたモダンジャズ」といったところか。
ここでは、さすがタイトルにするだけあって演奏は最上の出来で、ライブ演奏であることが俄かには信じがたいぐらいの完成度の高い演奏だ(録音もすばらしい)。テンポも他の演奏と比べると少々ゆっくり目で、実に深い感動的な「悲しみ」が堪能できる。もちろん他の収録曲もデキが良い。

しかし、これだけの素晴らしい録音が、新盤として手に入れることができない所為で、聴くことが叶わない人がいるというのはもったいなさ過ぎる(かく言う私もなかなか入手できずに友人のCDを借りてようやく聴くに至った)。もしどうしても聴きたい場合は、米国のiTunes Music Storeで手に入れるという裏技があるようだが、そんなことをしないで済むようLive in Wienと併せて再発売を切に願いたい。

May 2, 2006

女の子が生まれてみる。

世間はゴールデンウィークで休みを満喫しているというのにかかわらず、私はきたる5/7の演奏会の準備で忙しい。ところが御主人様(仮名)はそれどころではなく、胎児の状態が危険ということで入院してしまったのだ。よりによってこんなときに中耳炎になってしまう愚息(仮名)の面倒を見ながら楽器をさらうというまるで休日とは程遠い毎日。

そして、
baby2006.jpg
生まれたのだ。母子共に健康。予定日よりも1週間以上も早く、2418gと小さかったが、元気いっぱいだったおかげで保育器にも入ることなく済んだ。

朝の5時だったが、家に帰って少し睡眠をとって会社へ。そうしたら、4本目の論文が無事acceptされたとの報せ。

年男にも運がついてきたようなのだ。

武蔵野在住の不惑研究者の備忘録。 息子と娘に嫌われないことを目標に日々過しています。

ちなみに登場人物はほとんど匿名ですが、 「御主人様(仮名)」とは私の妻で「愚息(仮名)」は息子のことです。

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