我ながら、なかなかの出不精だと思うのだが(筆不精とも言う)、ジョアン・ジルベルトが来るとなれば話は別なのである。
しかも、多摩に住む身としては実に嬉しいものを発見したのだ。湘南ライナーである。新宿から横浜まで、途中の停車駅は品川のみ。超速い。普段に比べて、なんと約20分の短縮である。なんてローカルな話はさておき。
会場はパシフィコ横浜の国立大ホール。ちなみにこれを「クニタチ」と呼ぶのは明らかに間違いである。開演5時とあったが、チケットには「アーティストの都合により開演が遅れる可能性があります」。と書いてあったので、5:50に開演でもあまり驚くことはなかった。しかもエアコンは「アーティストのご意向により」切られていた。 5000人も入るホールのエアコンを切ったらどれだけ暑くなるか。ちなみにこの人、ボサノヴァの開祖のような人なのだが、変人であることで有名でもある。しかも72歳。演奏会をスッポかされてもあんまり文句が言えないという、カルロス・クライバーのような大物である。
で、ついと出て来て弾き始めた。「いやいやいや遅くなってごめんちゃい」という筈もなく、軽くチューニングしてあっさりと始まった。 1曲目はいわゆるワンノートサンバ(Samba de Una Nota Su)だったのだが、鳥肌が立った。生で聴くことはないと思いこんでいた声とギター(ヴィオロン)が、目の前で鳴っているのである。感無量である。不覚にもうるうる来てしまった。こんな感覚は2000年に聴いたBuena Vista Social Clubのルベーン・ゴンザレズがイブラハム・フェレール等と一緒に来日した公演以来である。
休憩なしで2時間が過ぎた後、 Estateを弾いた後に舞台上でなんと動かなくなってしまった。再度動きはじめたのは20分後。前代未聞の出来事である。奏者がひっこまなければ、観客は帰る訳にもいかない。その間拍手は続き、そろそろこの爺さん死んだんじゃないかと心配になりはじめたら、リセットをかけたが如く、ソロを含む4曲をそれはそれは素晴しい出来で弾き、出てきたときと同じようについとひっこんだ。終了時刻はゆうに9時をまわっていた。
翌日の日本公演最終日でもフリーズしたと聴くが、いずれにしても歴史的な瞬間に立会えたのではないかと思う。
しかし、もはや日記とは呼ぶことも出来ない頻度でしか更新されないこの頁。読者の皆様にはそろそろ諦めて頂きたいものなのだ。