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December 21, 2001

イタリアに脱出してみる。

「もうこんな雪だらけの国は嫌だ」という訳ではないのだが、ストックホルムを脱出することにしたのだ。

それに、折角はるばるやって来たヨーロッパだ。 1年も滞在しておきながら見たのはストックホルム近辺、駆け足で観光したオーストリア、そしてヨーロッパのさい果て というのでは悲しすぎる。

といっても、仕事は相変らず遅々として進んでないので、指導教官の手前もあり、脱出する前には必死で研究には取り組んでいたのだ。という訳でほぼ完全徹夜状態で8:30の飛行機に乗るべく空港に向かった。

ちなみに、空港には愛すべき ジャクリーヌ号で行くことも考えたのだが、予報ではこの豪雪は降り続けるとのこと、 1週間後にストックホルムに帰着した時に誰も居ない駐車場で車を掘り出すのも考えモノだ。ということで、タクシーを呼ぶことにしたのだ。ケチな自分としては「結構思いきったことをしたもんだ」とみみっちくも自己満足しながらアーランダに着いた。

ところがだ。

一向に弱まる気配のない雪のおかげで、アーランダ空港の滑走路は真っ白、そして全ての飛行機の翼には雪がどんどん積っていったのだ。ちなみに同じゲートに止っていたKLMのフライトは、所定の時間内に飛行準備が整わず、次のフライトの飛行機にゲートを明け渡すべくとぼとぼと引かれていった。結局のところ2時間も待たされたあと、ようやく離陸。

折角のミラノだが、やはり完徹状態では観光は無理だ。今日のところは勘弁してやるのだ。

などと言いながら見物したので、その様子を御覧になりたい方はこちらへどうぞ。

December 19, 2001

雪まみれになってみる。

昨日から降り始めた大雪で、ストックホルム中は真っ白なのだ。

いやはや、ものすごい雪である。ちょうど北陸地方とタメが張れるぐらいなのではないか。

日本の皆様からは、決まり文句のように「そちらはさぞかし寒いのでしょうね」とのコメントが多く寄せられるのだが、意外にもストックホルムはバルト海に面している所為か緯度の割には寒くはない。 12月中の中旬までは最高気温が5度ぐらいあったので、よく考えてみると、よっぽど北海道の方が寒いのではないか。

それに、ここでは雪が降ると言ってもたかが知れているらしい。緯度のおかげで冬の間は日照時間が非常に短く、暗いので、雪が降ると街中が結構明るくなる。そんなわけで、降雪はむしろ歓迎されている雰囲気である。

しかし、昨日始まった豪雪はその威力が全く衰えることなく、今日も降り続いた。雪にもある程度慣れた筈だが、除雪は追いついておらず、どこもかしこも30cm程度の雪が降り積っている。新聞の一面も"Snö Kaos"。英語に直訳すれば snow caos。つまり「雪の大混乱」だ。

こうなると横断歩道を渡るのも命がけである。自分の足元がおぼつかなくて、 以前のような失態をする可能性があるというのはともかくとしても、走ってきた車が横断歩道の手前で止まるという保証はまったくないのだ。

ということで、横断歩道は問題なくクリア。無事に自宅に辿りつけたなぁと思った瞬間、すってんころりん。

えーと、「オヤクソクすぎるオチ」というのは言わない約束で。

November 2, 2001

引っ越しを決心してみる。

結局引っ越すことを決心したのだ。

インターネット常時接続は惜しいが、どうせ我が家のインターネットはCATV経由なので大した速度も出ていない。

何より、今回思案しているところは、太陽が照るというのが非常に魅力的だ。現在住んでいるところは、中庭向きの北向き、そして1階なので全く部屋に日が差し込まない。ただでさえ11月になってから非常に日が短くなっており、現在の日照時間は6時間程度と言ったところである。

このまま日の短い北欧で越冬すれば、皮膚が真っ白になり、視力はモグラのように退化し、足は動かなくなり、などという物理的な問題はあまり生じないだろうけど。とにかく精神的には問題が起きてもおかしくない。

問題は、引っ越すタイミングと手段である。

レンタカーでトラックを借りて、一気に引っ越すという手もあるが、どうせそんなに荷物は多くない。それに荷物を入れる段ボール箱自体がないのだ。一気に荷造りすることすらままならない。 ジャクリーヌ号を駆使してちまちまと小分けにして引っ越すしかないだろう。

ちなみに、スウェーデンでは11月は雨期とされているのだ。天候の行き先はかなり不安です。

November 1, 2001

引っ越すか悩んでみる。

ここストックホルムには外国人研究者専用のアパートがあるのだ。

市内の癖して大量の緑に囲まれ、 5分も歩けば湖に出るような非常に恵まれた環境にある。しかも、ちょうどストックホルムの3大キャンパスから程良い距離。家賃も財団から補助が出るため、他の同程度のアートよりは安い。

と、至れり尽くせりなのはよいのだが、それなりに問題もある。ストックホルムは慢性的な住宅難で、ここも状況は全く同じ。長いウエイティングリストを経由しないと入居できない。私の場合もこちらに来ることが決まり、すぐにウエイティングリストに載せるよう手配したにもかかわらず、結局入居できたのはこちらに来てから半年も経った今月である。

もっとも、住み慣れた今の場所から、残り半年のために引っ越すのも何となく馬鹿らしい気もするのだが、家賃が安いとあれば背に腹は代えられない。大学に非常に近くなって便利だし、駐車場もある。それに折角入居するチャンスを与えられたのだ。大いに利用してやろうではないか。

しかし、私にとって、もっともクリティカルな問題があった。というのも、このアパートインターネットに常時接続ではないのだ。

うーむ。引っ越すべきか引っ越さざるべきか。

April 30, 2001

GSMを購入してみる。

朝早くから教授が来て、大学の宿泊施設からアパートまで送ってもらったのだ。

いくら我々が車がなくて不便だとはいえ、ここまでやってもらうと恐縮してしまう。アパートがあるのは、ストックホルムの南方に位置する郊外である。見てみると、あまり状態の良いアパートではなかった。しかもバスルームが少々臭い。

とつらつらと不満を述べても仕方がない。とにかく、今夜寝るためのシーツを買わなければならないのだ。ということで、教授はその足でAohlensというストックホルムの中心部にあるデパートまで、車で送ってもらった。実はその店、『佐藤デジタルメモ』によると、あまり安い訳ではないようなのだが、なにしろ教授のお薦めなので素直に従うことにした。

シーツの購入後は、ケータイを購入。

わずか1年しか居ないのにケータイを買うには訳がある。もはやケータイを身につけていないと不安な身体になってしまったというのもあるが、何よりも今日はメイデイ前日で電話会社を含む役所関係は休み、明日もメーデイそのもので休日である。ということは、在留届を提出して住民登録を済ませ、パーソナルナンバーを貰い、銀行口座を開いて電話を引く、という一連の手続きが開始できるのは最も早くても2日の水曜日である。しかも在留届と住民登録は到着してから1週間以内に済ませておく必要があるのだ。厳密に計算すると、金曜日の夜に到着しているので、既に4日分損している計算になる。

しかも問題はそれだけではない。

6日の日曜日には、ソルトレイクシティで開催される国際学会に向けて出発しなければならないのだ。誰も私に連絡が取れないという状態になってしまうのは問題がある。

と言うわけで、 Åhlens Cityの道の反対側にある安売電気店で購入することに決めたのだ。 IDを持っていないので、正規に加入するのではなくプリペイドである。店員の説明によると、SIMをカードから折り取って携帯のスロットに入れ、 210に電話してアナウンスに従えば良いと言われたのだ。

アパートに戻って言われたとおりにしてみると、果たしてアナウンスはスウェーデン語。

いったいどうすりゃいいというのだ。
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April 29, 2001

ちょっと観光などしてみる。

昼まで寝ている訳にもいかないので、ちょっと早めに起きてみたのだ。

かといって、やることが大してあるわけではない。日曜日だからだ。大学も休みである。と言うわけで、教授お勧めの博物館に行ってみたのだ。 Vasa Museetというところである。この博物館は、ヴァーサ号という船を展示している。

だが、この船、ただの船ではない。16世紀の戦艦なのだ。

しかも、ただの戦艦ではない。通常、この時代の戦艦には1列の砲台が船腹に並んでいるそうだが、どうやら当時の王様が完成間近になって、「2段ほしい」などと言い出したから大変。突貫工事で完成させたは良いが、結局構造バランスの悪い船ができあがったらしい。ということで、ドックから出発したは良いが、なんとたったの300mを航海して風に煽られて転覆沈没したのである。

1950年代になって、ある男がそんな笑い話に近い伝説を信じて探して見たら、沈んだ当時の状態のまま見つかったという訳である。どうやらストックホルム湾は特殊な環境下にあり、船がほとんど腐らずにあたかも保存されてかのような状態で発見されたらしい。
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あまりの大きさにびっくり仰天である。しかし、こんな大きな過去の過ちを、 60kr(800円ほど)もの大金を取って見せびらかしているスウェーデン人というのは、意外と親しみやすい人種なのかもしれない。

またひとつこの国を好きになる理由を見つけたのだ。

April 28, 2001

北欧でも食いまくってみる。

昼まで大学の宿泊施設で寝ていると、電話が鳴った。博士課程のHから、スモルガスボードを食いに行こうというお誘いである。

知らない人が聞いたら、「スモルガスボードって何?」という状況かもしれないが、日本で言うことの「バイキング料理」である。つまり、テーブルの上に料理が並んでおり、好きなだけ取って食べて良いというシステムである。

もちろん、日本でのバイキング料理というと、寿司とか牛肉とかケーキとか、何となくチープなイメージが沸いてしまうが、スモルガスボードと言ったら、スウェーデンの伝統料理である。一応それなりの態度で接さなければなるまい。

ということで、会食開始。ニシンやサーモンのマリネ、ウナギのスモーク、ジャガイモ料理、サラダを食いまくる。って、「それなりの態度」が「食いまくること」だとすると、日本でバイキングを食うのと全然変わらない気がするが、深く考えてはならない。

しかし、魚料理が実にうまい。これだけうまく料理をすると言うことは、スウェーデン人は魚好きだという証拠である。新たな発見である。

ひとつスウェーデンを好きになる理由を見つけたのだ。

April 27, 2001

早めに起きてみる。

初めて中学校に登校する日はこんな感じだっただろうか。全日空ホテルのベッドで目が覚めたのは5時頃だったのだ。

というのも、全日空ホテルは、マイレージがたまるだけでなく、搭乗手続きがホテルのロビーでできるという特典まで付いてくる。つまり、11:25発ロンドン行きの飛行機に乗るには、東京郊外の多摩地区からなら6時起きで出発せねばならないのに、このホテルなら10時前に出発すれば余裕で間に合うのだ。

というのに、目覚めたのは朝5時である。これでは何のためにホテルを予約したのか分からない。なんとも最初からとほほな状態なのである。

結局、眠い目をこすりながらロンドン行きの飛行機に乗ったのだ。だが、眠いからと言って機内で寝てはいけない。というのも、日本との時差は+7時間である。ずっと起きていれば、徹夜しているのと同じ状態になって、すんなりヨーロッパ時間に移行できるはずなのである。

機内では「スペースカウボーイ」と「ペイフォワード」を上映していた。特に観たい映画だったわけではないのだが、隣はダブリンに住んでいるという、フランチェスコと名乗るイタリア人。 1ヶ月も休みをとって中国、タイ、ベトナムなどを回ってきたという。

ヒースロー空港では、乗り換えには2時間だけしかなかった。事前にターミナルが違うと移動に手間取ったりして乗り遅れたりするとか、聞いていたのだが、到着と出発のターミナルが同じだったおかげで余裕である。えっへん。

ただ、ゲートの待合室はスウェーデン人ばかりで、英語を喋っている人は一人も居ない。いよいよ心細い。

本当に私はこの国でうまくやっていけるのだろうか。

March 15, 2001

打合せ中に観察してみる。

打ち合せなのだ。

引越し等の手配をする人とのである。何だか、いよいよ本当に海外に行くような雰囲気になって来たぞ。相手は慣れたモノで、淀みなく説明をしている。感心して資料から顔を上げて、彼の顔を見た。

と、つつぅっと一筋の鼻水が。

なるほど、花粉症か。というか、どこからどう見ても花粉症である。今日は暖かいからなぁ。花粉もいつもより多めに飛んでいるんだろうなぁ。可哀想に。

といっても、秋になってブタクサの花粉が飛び始める時期になれば、私も同じ状態になるのだ。同士よ、うんうん、私もその気持はよーく分かる。

などと余計なことを考えていたら、彼が何の説明をしているのか分かんなくなってしまった。でも、ちゃんと聞いていないとやばいしなぁ。うーむ。

す、すみません、も、も、もう一度確認したいんですが。