一面広告である。
朝飯を食らいながら新聞を読んでいたら、 D社の新シリーズ(208)携帯の広告に遭遇した。
単純にうれしい。テレビで田○正○氏が
「そどそど、でてくどぅこどだとはおぼってばしたけどね」なんて鼻のつまったCMをしていても、まったく厭味に思えず、 「そうなんだよ、チミは正しいよ!」なんて同意してしまうぐらいなのだ。 D社(中央)は、昔からCMに採用する女性は素晴らしい選択をするのだが、 男性は織田裕二氏がI社に寝がえってしまってから、どうもイマイチだ。 だが、そんなこと全く気にならないぐらい嬉しいのだ。というのも、前から携帯(P203)の調子が著しく悪い。 とにかく、電源を切ると時間が遅れるのだ。 目覚し代わりに使っていたのだが、現状では完全に役立たずである。
また、今の携帯には着メロがない。 だから、街中で携帯が鳴って自分のかどうか良く分からないことがあって、 ドキリとすることが多い。
もっとも、着メロで遊びたいと言うのが本音でもある。 つまり、誰も使うことがないと予想される中世の曲などを入れて、 満悦になりたいのだ。しかも、208シリーズは3重和音が可能らしいから、 いろいろ遊べるぞ。うひうひ。
更に、いままで携帯の音が悪い悪いと嘆いていた人達に朗報なのだ。 実は、私は携帯の音の善し悪しと関係がないこともないことを 生業としてやっているのだが、今度導入されるハイパートークモードになれば、 ハーフレートよりは音がガゼン良くなる。cdma○neに押されているD社も、 少しは汚名が挽回できるというもんだ。 ただし、他社携帯業者間の通話は相変わらず悪い筈だが…。
ま、いずれにせよ、 このふつふつと湧き上がって来る物欲を近日中に晴らすのだ。うひうひ。
苦ちいのだ。
寿司の食べ過ぎである。 そんな幸せなことがあっても良いのかと思うが、現に食いすぎで苦ちいのだ。 ここは吉祥寺南口の行列の出来る明朗会計の寿司屋。 近くの激安回転寿司屋は、 自分自身がきりきり舞いで回転してしまうぐらい長〜い行列が出来ていたのだが、 そこの寿司屋はさほど並ばずに入れた。 明朗会計で、比較的おいしい上に安いという店である。
いずれにせよ、壁際の小さなテーブル席に、お腹がめちゃくちゃ減った 男4人がぎゅうぎゅう詰めになって、 寿司をがんがん頼んでいる姿はあまり見られたものではない。 しかも、最初は、がつがつ食っていたのだが、数を頼みすぎて、 最後の方は目を白黒させながら口の中に押し込んでいるだけだったのだ。
更に、結局は、あんまり安く上がらなかったのが、しくしくなのだ。 やっぱ、頼み過ぎだって。
人が笑う姿が好きだ。
厳密に言うと、人が私を嘲り笑っている場合は除く。 もうちょっと分かり易く書くと、人の笑顔が好きなのだ。 綺麗ごとなどでは全然なく、本当に笑顔が好きなのだ。
私は楽器も下手だが、話も下手だ。 このページに羅列されているクズを読めば、文章力がないことなど、すぐ分かる。 非常に悔しいが、私は人とのコミュニケーションがあまりうまくない。
だが、こんな私が仲間達と演奏会を開いた。 しかも、演奏の合間のトークも担当した。
都心から電車で40分もかかる、立川にある教会である。 しかも、この教会は駅から決して近くない。しかも天気の良い休日である。 普通の人なら、こんな日には紅葉を見に行きたいと思うだろう。 だが、目標を上回る集客を果たすことが出来た。
遠方から来て頂いたお客様にも、 この演奏会に尽力して下さった人達にも、甚だ失礼なことではあるが、 実は自分自身の演奏には満足できていない。楽器を演奏の合間に話すという行為は、 気持ちの俊敏な切り替えと集中力が試される。だが、今日はアがってしまった。 ここ最近、久しく演奏会でアがることはなかったのだが、 トークでアがってしまったため、そのまま気持ちの切り替えに失敗してしまったのだ。 演奏は失敗、トークは滑る。いいとこナシだった。
だが、多くのお客様が、帰り際に受付の「ありがとうございました」という言葉に、 にこやかに会釈をして帰られたそうだ。
正直、涙がでるほど嬉しい。
素晴らしいソロを演奏した舞台上の仲間達も、 高熱をおしてステージを切り盛りしてくれたM君も、 よく気がつき的確な判断で受付を担当して下さったMさん、Hさんも、 チラシの作成からチェンバロの移動まで貴重な時間を割いてくれたuttieさんも いてくれたからこそである。いくら感謝してもしきれない。
かけがえのない仲間達と演奏会というひとつの形を築くことができた。 しかも、結果、人を楽しませることができたようなのだ。
そんな私は本当に幸せである。
さぼるのだ。
職場の予定表に2週間以上も前から「休」とデカい字で書いておいたので、 厳密に言うと「さぼり」ではない。 だが、仕事が山積している状態で会社に行かないのは、 「さぼり」以外のナニモノでもない。 ということで、ヒナガうだうだして過ごしたのだ。 久しく休日らしい休日がなかったから仕方がないか。
だが、「勘弁してちょんまげ。」などと言っても、 全部自分に跳ね返ってくるのが実にしくしくである。
引越し先が決まったのだ。
さるヤンゴトナキ事情により家を出るのだが、引越し先がようやく決まった。 実家から車で30分ぐらいの場所に落ち着いた。最寄り駅からは10分ぐらいである。 いちおう都内である。
ということは、ゴミを分別しなければならないのだ。
買物である。
私は家財道具を一切持ってない。 また、同居予定の御主人様(予定)も家財道具を持っていない。 ということは、全部買わなきゃならないのである。
まずは引越し先の偵察をしなければならない。 部屋に入らない家具を買っても仕方がないからだ。 巻尺を手にして、あらゆる場所の寸法を測って間取り図を作成した。 だが、だんだん鼻水が止まらなくなって来た。
うーむ。やばい。 しばらく掃除していなかったと見えて、埃っぽいのが良くないらしい。 その証拠に、足の裏が真っ黒になってしまった。とほほなのだ。 だが、この鼻水の原因として考えられる最悪は、ダニである。 私は元来ダニアレルギーである。ダニの糞が良くないらしい。 最悪の場合、喘息の発作のような状態になる。 というか、アレルギーによる呼吸困難は、「喘息」ていうのか。 これは本気と書いてマジにやばい。そんなのではここに住めない。
意を決して、近くの薬品店で、薫煙型除虫剤を大量に購入。 えぇと、そんな難しい言葉を使うまでもなく、いわゆる○ルサンのことである。 とにかくダニを根絶やしにするには、 まだ家具など何も入れていない今のうちに、焚いて焚いて焚きまくるしかない。 窓にメバリをして、バル○ンに着火、部屋から脱出。
ということで、近所の大手家具屋に行く。躊躇している暇は無い。 来月の頭にはキョニュー、えぇと、巨乳じゃなくて、入居していなければならない。 それまでに全ての家具が揃っていなければならないのだ。 私が持っている家具なんて、ベッド、パソコンデスクと本棚ぐらいだ。 チェストや食器入れ、テレビなんかを置くサイドボードなども買わねばならない。
ということで、あっと言う間に、300k円もの買物をしてしまったのだ。 実にヤバい。金銭感覚が麻痺し始めている。明日の電気製品購入は危険なのだ。 どんどん買ってしまう可能性があるのだ。
部屋に戻ったら、案の定、ケムかった。メバリが効いたらしく、すごい煙だ。 だが、すぐには換気できない。なぜならメバリを剥さないと窓が開けられないからだ。 ということで、大量のバ○サンの煙を吸い込んでしまったのだ。 うぅ、苦ちい。ごほごほ。
パワー軒(立川)「とんこつつけ麺」
万豚記(小平)「黒胡麻担々麺」
再度、買物である。
本日のターゲットは冷蔵庫に始まり、洗濯機、エアコン、テレビ、FAX付電話、 掃除機などの電化製品。 10%還元ゴールドポイントに目がくらんだ御主人様(予定)と私は、 新宿西口駅の前のYバシの前で、 ほとんどのモノを本日中になんとか手に入れると決心し、 ゴールドポイントカードを握りしめた。
まずは、掃除機である。昨日書いた通り、 入居先は汚いので、真っ先に買わなければならない電化製品である。 売場には、最近売り出したらしい欧州製のゴッツイ奴があって、 ダニの糞はおろか、ダニのハナクソまで綺麗に吸い取ってくれそうな雰囲気だったが、 サイズが多少大きいのと、やっぱりデザインが良くないので却下。 HEPAフィルターの着いた国産製のモノに落ち着いてしまった。
次に、冷蔵庫は事前の下見で目を着けていた400リットルもの。 「ハードディスクと冷蔵庫の法則」という、
「ハードディスクも冷蔵庫も、実際に必要とする容量は、手持ちのモノよりちょっとだけ多い」という鉄則が頭をかすめ、そんなに大きいのが必要かどうか疑問にも思った。 小さければ、小さいなりに、なんとかやりくり出来るかなぁという理論である。 だが、「大は小を兼ねる」という格言もあることだし、まぁいいだろう。 前面の扉は、左側からも右側からも開くと言う優れモノだ。 こういう造りだと、あまり設置場所の選定に困ることはないだろう。エアコンは以前から目をつけていたM菱製の8畳用のモノを購入。 HEPAフィルタと、意外と工事賃が安いのが決め手となった。
電気釜は5.5合が炊けるものを選別。 見れば見る程、どれも似たようなモノに見えるので、 一番在庫数が少ないモノにした。 「在庫がないということは、売れているんじゃないか?」と言う理論である。 結構いい加減である。 この頃からだんだん判断力が低下して始めている証拠である。
この時点で、既に200k円以上の買物をしている。金銭感覚が麻痺し始めている。 疲れのせいで、ぼーっとして、マトモに考えられなくなって来ている。 買物をするような精神状態ではない。
ふと隣を見たら、同行している御主人様(予定)の目は、 すでにイっちゃっていた。どうも、昨日今日の大量な買物で、 彼女のカード使用限度額を越えてしまう危険があるらしい。
だが、残された時間がない。というわけで、私のカードを使用して暴走開始。
テレビは21型と決めていたのに、何時の間にかインチアップを果たして25型に。 しかもBSチューナー内蔵、フラット画面である。 現状では、ほとんどテレビと縁のないのに本当に必要なのだろうか?
さらに、電話は何時のまにかコードレスの小機付のFAXに早替り。 カラーコピー、コードレスハンドスキャナ搭載のモノがあったが、 一応、普通紙のモノクロ印刷の安いものにするぐらいの理性はあったらしい。
次は携帯電話。これは別に家財道具ではなく、急ぎでもなんでもなかったハズ。 だが、既に「待つ」という辛抱すらできなくなっている状態なので、 近くのDショップに駆け込み、 一般市場価格より高い値段でP208に機種変更をしてしまった。 もううひうひなんて買物を楽しんでいる場合ではなく、 「ハイ、次ぃ!」状態である。
恐らく、来月はめちゃくちゃ後悔することになるだろう。
博多天神(新宿御苑)「ラーメン」細麺
シャレになってないのだ。
週末の激務の疲れが取れないまま、職場に復帰。 来週の中頃に向けて、ひとつヤマがあるので、大変なのだ。 今日の帰宅は0:30過ぎである。
家族は誰一人として東京に居ない。 自宅で待つのは、お腹が空き、愛に飢えた犬が一匹いるのみである。 当然、彼の世話は私がやる他にない。早く帰れなくてごめん。
コトの発端は、一通のEメールだった。
「肉食いに行きましょ、にく」相変わらず、後輩のMちゃん(注:美人OLではない)からだ。 どうも、吉祥寺の焼肉屋に行きたいらしい。さすがに、躊躇した。昨夜の帰宅は午前零時を回った状態である。 おまけに、相変わらず仕事がマッタく一段落する気配がない。 ということで、先に行ってもらうことにした。その気になれば、後で合流しよう。
だが、一段落しない。
時計の針は、21時を回っている。何か頭の中で「ぷっつん」と音がして、 気がついたら吉祥寺の焼肉屋の前に立っていた。 だが、ケータイ(3重和音とハイパートーク付、うひうひ)で連絡を取ったところ、 もうデザートを食っている所だという。遅かったか。がっくり。
しかたがないので、連中が「アンニン豆腐」にウツツを抜かしている隙に、 武蔵家で「固めのり多め」を食す。結構この店来てるなぁ。何回目だろう。 などと感慨にふけっていたら、帰り際に店員に、大きな声で
「いつもありがとうございます!!!!!」とか言われてしまった。 ひ、ひひ、ひょっとして、私の顔、覚えられてしまったのか?武蔵家(吉祥寺)「ラーメン」固め、のり多め
あまりにも忙しいので、
雑用よ! どっか飛んで行けぇ〜!!!などと魔法の呪文を心の中で唱えてみた。 本当は口に出したかったのだが、 その雑用を与えて下さった上司が近くにいるので、それは叶わない。口に出さなかったせいかどうかは分からないが、やっぱり何事も改善されなかった。
しくしく。
どうも、今日は特別な日らしい。
今朝、配達された新聞には平成11年11月11日と書いてあった。 ラヂヲでは記念切符が飛ぶように売れたと報じている。 テレビでは、先日から「ポ○キー・プ○ッツの日」なんて言うCMも流れていた。 田中麗奈ちゃんが言うのだから、信用してもいいだろう。 asahi.comでは、 「バーの日」に因んで、大阪ではカクテルを路上で作って販売したと報じている。 縦棒の連続だから、barなのか? 誰か説明してくり。
午前中、御主人様(仮名)と、 やんごとなき理由で立ち寄った市役所で貰った、 なんとか届受理証明書にも、案の定、平成11年11月11日と書いてあった。
ま、いずれにせよ、今日は特別な日らしい。
まんぼう亭(武蔵小金井)「ラーメン」
またしても張り裂けるように痛いのだ。
帰り支度をしたF氏が、職場の実験室にのたりこんできたのが、21:00過ぎだった。 根っからの九州男児であるFさんは、言葉数が多い方ではない。
「帰ろう」お誘いがあると言うことは、「どこかに寄ろう」ということだ。 残念ながら、私の仕事の状況は、それどころではなかった。 その状況を説明しようとすると、彼は遮るように、「ラーメン食いに行こう。」という言葉を発した。脳味噌がちぢれ麺で出来ている私には、 その言葉は致命打である。有無を言わさず片付け開始した。そもそも、私の周りの九州出身の人には頑固な人が多い。 彼らは、「ラーメン」というといわゆる博多系の白濁した豚骨スープしかない、 と思い込んでいるらしく、東京の醤油ラーメンを「ラーメン」として絶対に認めない。 また、東京で出される豚骨ラーメンをなかなか「美味しい」とは言わない。
以前食べた「御天」という店は、 どうもお気にめさなかったようである。 麺は東京で食べた最高のレベルだと称賛していたが、 スープがコッテリしすぎなのだそうだ。 「コクを維持したまま、もうちょっとあっさり」がいいようだ。
ということで、博多出身者のFさんと、博多で6年過ごしたH君のツワモノらで 「東京の博多ラーメンを切る!!」べく新宿の「博多天神」へ向かったのだ。
家とは反対方向の新宿へ電車に乗る。歩いて10分程度で、博多天神に到着。 先日食べた時は少々ノビていたので、 太麺固めで頼む。太麺と言っても普通の博多ラーメンの太さと同じぐらいだから、 東京では細麺のレベルである。 Fさんは、それをあっと言う間に麺を平らげ、細麺の替玉を固めで注文。 私が細麺の替玉を同じように固めで注文する時には、彼はその替玉を既に平らげ、
「どちらも捨てがたいなぁ」とつぶやきながら、太麺の替玉を注文していた。 そして、最後に「うーん、やっぱり細麺も…」などとつぶやきながら、細麺の替玉をまた注文。都合3回替玉をしたことになる。 これは、以前の御天での悪夢の再来である。 そりゃ、苦しくない方がおかしいのだ。それに、それだけ食べて「美味しい」のか?
博多天神(西新宿)「ラーメン」太麺固め、細麺替玉固め
ごほごほ。
風邪ではない。風邪をひいてる暇なぞ、今の私には全くない。 つまり、掃除を徹底的にやるべく、御主人様(仮名)と引越し先へ赴いたのだ。
先ずは、畳。ダニアレルギーだし、畳の清掃には、 家具が一切入っていない今の内にやっておきたい。 全部の畳を上げて、ベランダに運び出し、布団叩きで叩く。 ちょっと叩いてみた所、いやはや、すごい量の埃である。 それにすんごい音がする。そこら中に響き渡っているような気がする。 実際は「気がする」どころの話ではなくて、実際、轟き渡っていた。
さらに、ふと視線を上げると、お隣りさんの洗濯物が目に入る。 これではグアイが悪い。このまま叩き続けると、 折角洗ったばかりのTシャツやら、ぱんちぃやらが埃まみれになってしまう。 住む前からお隣さんと険悪な雰囲気になるのは不本意である。 って、住んだ後からでも不本意なんだけどね。
いずれはやらなければならないことなので、叩く前に挨拶しとこう。 手土産は、タオルが2枚に「のし」が付いたモノだが、 これをシケていると考えるかどうかまでは関知したくない。
というわけで、無事了解をとり、作業を再開することができたのだ。 叩いて叩いて叩きまくるのだ。おらおら。
だが、あんまりにも強く叩いたので、 100円均一ショップで購入したプラスチックの布団叩きは、 割れてどんどん崩壊して行き、 作業が終了する頃には取っ手の部分のみを残すだけになってしまったのだ。 でも、ストレスも充分発散できたし、すっきり爽快なのだ。ご機嫌なのだ。
だが、上げた後の畳を戻した所、妙な隙間が出来たり、逆にはまんなかったりして、 うまく元に戻せなくなってしまったのはここだけの秘密である。 結局、全部の畳の長さを計測しなおして、パズルを解かなければイケナクなったのだ。 畳って、微妙にサイズが違うのね。
万豚記(小平)「蝦担々麺」
宿題だらけなのだ。
以前も書いたが、 ヤンゴトなき事情により大規模な宴会の幹事をすることになった。 ということで、宴会場の人と打ち合せをしたのだ。 結構、詳細な所まで打ち合せをする。
「2週間前までまでに、これとあれとそれも、やっといて下さい。お願いします。」などと、宿題を言い渡されたのだ。 その宴会まで、3週間しかないことをヒシヒシと実感しつつも、 ふと、夏休みの宿題を、 ぎりぎりまで粘って結局やらなかった小学生時代を思い出したのだ。そういえば、この頃に、実験データの捏造の仕方、情報の裏取り引きなど、 一般社会ではやってはイケナイとされていることの ノウハウを学んだ気がするなぁ。
こういう子供がろくな大人にならない、ということは、 最近の新聞を読んでみれば一目瞭然なのだ。そう、私は悪い大人なのだ。 だから、宿題は期日までにはやらないのだ。
こらこら。
肥後のれん(新宿)「ラーメン」
ちゃんと掻かねばヤバいのだ。
そうそう。背中のかゆい所は、孫の手や定規を駆使して、 かゆみを止めなければならないのだ。って、違う違う。 ちゃんと書かねばヤバいのだ。
週末は、完全にネットワークから切り離された状態で生活したのだが、 ひさしぶり(といっても3日ぶり)に、 知人のページを覗いたら、 このページにリンクが張られていた。
ちなみに、「リンクを張る」という言葉に違和感がある人がいるかもしれないので、 ちとだけ説明を試みよう。
元来、UNIXというOSでは、ファイルの虚像を作ることを、 「linkを張る」という。これはUNIXの方言で、10年以上前からある言葉なのだが、 他のOS、例えばWindowsでは「ショートカットの作成」、 MacOSでは「エイリアスの作成」となどと名前を変える。 ディレクトリ構造を飛び越えてファイルにアクセスできるので、 なにか「特別な紐を張った」状態をイメージしてもらえれば良いだろう。
と言う訳で、自分も含め、UNIXで業界で生きている人達は、 「リンク」=「張るもの」だと思っているようなのだが、 厳密に言うと、「リンクする」というのが正しい用法であろう。 だが、所詮、WWWはIP上の構築されるだし、 IP自体がUNIXから発生した通信プロトコルなのだ。 すなわち、UNIXで生活している人が居たからこそWWWが発達したのだから、 「リンクを張る」というモノの言い方をする人を、 弾圧してはイケナイのだと思う。
のだが、やっぱり、それは自分勝手な言い草かな。
話を戻そう。つまりは、 こんな偏屈なヤツの日記にリンクを張るなんていう奇特な人がいたので、 ネットワークの片隅でひっそりと存在する筈のページも、 白日の元に曝されてしまうのだ。 と言う訳で、こんなモノでもちゃんと掻かねばならんのだ。
ふむ。